おにぎり」と「おむすび」の違いって何でしょう?
「にほん」と「にっぽん」の違いって何でしょう?
名前というのは結構ややこしいモノです
さて
今回の話はワンダフルに長文です(笑)
愛知県の竹島
鹿児島県の竹島
豊臣秀吉が天下と取った頃は「松島」と呼ばれ
幕末からは「竹島」と呼ばれる様になった島根県「竹島」
豊臣秀吉が天下を取った頃は「竹島」と呼ばれ
幕末からは「松島」と呼ばれる様になった
慶尚北道鬱陵の「鬱陵島」
慶尚北道鬱陵郡には「竹嶼(竹島)」があります
慶尚北道鬱陵郡「独島」
この中で
愛知県の「竹島」や鹿児島県の「竹島」には
領有権問題は存在しませんよね?
豊臣秀吉の頃に「竹島」と呼んだ頃の「竹島」には
領有権問題は存在しませんよね?
慶尚北道鬱陵郡にある「竹嶼(竹島)」にも
領有権問題は存在しませんよね?
しかし
島根県の「竹島」と慶尚北道鬱陵の「独島」には領有権問題は存在します
まず
島根県「竹島」は過去と現在では
名称が変わったという事実も知ってください
この事が実は自体を複雑にしているのです
そもそも
李朝は「空島」政策というモノを採っていました
朝鮮半島や中国で猛威を振るった「倭寇」ですが
実は
倭寇を装い略奪を繰り返す「偽倭寇」(朝鮮では仮倭と呼ぶ)が
相当数存在しており
朝鮮半島の周囲の離島を拠点にしていた為に
1417年に太宗が仮倭寇対策として
離島を無人にする政策を取りました
つまり
「島を空(から)にする」という意味で「空島(からじま)」です
もし「空島(からじま)」政策を「空島(そらじま)」と読んでいたら
ソレは確実にワンピースの読みすぎです(笑)
その結果
新羅に従属するまで独立国だった于山国(鬱陵島)も
「空島政策」の対象の島で
島民を本土に移住させ無人島になりました
この島は
良質な「竹」が自生しており
無人島だったこの島を日本人は「竹島」と呼び
たびたび「竹」や
アワビやアシカなどを海産物を目当てに渡航していました
ただ国内の事情から「空島」政策は取っていても
李朝は自国の領土だと思っていたので
無断で立ち入る日本人に対し
1614年に対馬藩を通じて抗議をしようとしますが
しかし
江戸幕府は大阪の陣で忙しく相手にしませんでした
その後
鎖国時代になり渡航は許可制になります
許可制になった理由は
竹島(鬱陵島)が朝鮮半島に近いので
往来に制限をかけない事で
李朝との「密貿易」に利用される事や
竹島(鬱陵島)を通じ諸外国と「密貿易」を行う懸念があったからです
その結果
米子藩(鳥取県)の大谷家・村川家が独占的に
「竹嶼(鬱陵島)渡海許可証」を受け
葵の紋の旗を船に掲げ「竹島(鬱陵島)」に渡航していました
1692年に事件が起きました
大谷・村川家が
無人島だと思われていた竹島(鬱陵島)に
武装した朝鮮人が53人ほどいたのです
帰国した大谷・村川家は米子藩に伝え
米子藩から竹島(鬱陵島)に朝鮮人がいた事を幕府に伝えると
「日本側に負傷者がいなく無事に帰って来たなら問題ない」との回答
1693年に再び大谷・村上家が竹島(鬱陵島)に向かうと
やはり武装した朝鮮人がいたので
3人ほどを「密航者」として捕まえて日本に帰国しました
江戸幕府は対馬藩を通じ
李朝に朝鮮人を引き渡す事と同時に
「竹島(鬱陵島)は日本の領土」という事を伝え
朝鮮人の「密航」を厳しく取り締まる確約と取る様に命令します
江戸幕府からの命令という事もあり
藩主だった宗義倫が自ら釜山まで赴き
身柄の引渡しをすると同時に
竹島(鬱陵島)は日本の領土である事を認める交渉を開始します
両班内で最高権力者だった権大運は
李朝が竹島(鬱陵島)を日本領と認めない事を口実に
再び日本による朝鮮討伐が起きる事を危惧し
穏便に済ませようと画策します
しかし李朝側も
竹島(鬱陵島)が「日本領」と認めたくはありません
その結果
竹島(鬱陵島)は空島政策を取っているので「無人」であり
今後は朝鮮人が竹島(鬱陵島)に渡航する事を徹底的に取り締まる
逆に日本人が竹島(鬱陵島)に渡航する事は自由とする
ある意味では玉虫色の決着を図ろうとしました
しかし
両班内での権力闘争で権大運は敗れ失脚し
変わりに最高権力者になった南九万になると
まとまりかけていた玉虫色の李朝側からの提案は白紙にされ
竹島(鬱陵島)は空島政策を取っているので「無人」であり
朝鮮人が竹島に渡航する事を徹底的に取り締まるかは
李朝内部の問題で日本には関係ない
空島政策を取っているとはいえ李朝領土なのだから
渡航するには李朝の許可を得る事
李朝側が強硬姿勢に転じ
対馬藩主だった宗義倫も病死します
ココで江戸幕府は
老中だった阿部忠秋が交渉打ち切り
武力による竹島(鬱陵島)領有も視野に入れ
開戦する「大義名分」があるかに関し
1695年に米子藩に対し
竹島(鬱陵島)は米子藩の領土の根拠など17の質問状を送りました
その返答は
単なる無人島なので領有した事は無い
竹島(鬱陵島)は隠州地域(隠岐)離島であり
大谷・村上家は米子藩の藩民でも
竹島(鬱陵島)の管轄は松江藩(島根県)なので詳しい事は解らない
ソレを受け松江藩に17の質問状を送りました
松江藩は
竹島(鬱陵島)の存在は昔から知っていたが
無人島(倭寇が隆盛だった頃に認識したという事です)のままにしたのは
自国民を移住させるホド価値のある島ではない
との回答でした
そして江戸幕府は「無用の小島」と結論付け
竹島は李朝の領有する土地だと結論付けます
そして鎖国政策を実施していたので
無人島では無く李朝の領土になった竹島(鬱陵島)への渡航も「禁止」しました
その結果
地図には竹島は李朝領土として描かれる様になりました
コレを日本では竹島の一件と云いますが
ココで終わった話を蒸し返そうとする安龍福が登場します
彼は
竹島(鬱陵島)で1度捕まったアトに李朝に送り返された人物ですが
自費で10人ほどの人数を連れ日本に渡り(正確には隠岐島に漂着)
彼は釜山出身で
釜山には日本人街もある土地柄のせいか
日本語が喋れた為に
漂着して取り調べを受ける際に
嘆願書を見せ
「于山島は李朝領土ニダ」と
漂着していた理由を密漁などでは無く
李朝の使者を装い謁見を求めますが
「異人の窓口は長崎だから(笑)」と相手にもされませんでした
ココで「于山島」という得体の知れない島が登場します
安龍福によると
「李朝の領土ニダ」と云う「于山島」とは
竹島(鬱陵島)より北東に50里(20km)ほど行った島だとの話です
「于山島」とは
朝鮮半島最古の歴史書「三国遣記」より登場する「幻の島」です
1530年に描かれた八道総図には
「于山島」は竹島(鬱陵島)より手前に描かれているのに
実際には存在しないからこそ「幻の島」となってしまったのですが…
ただ
漂着した安龍福が「通政大夫」という官職の札を持っていたので
対馬藩より李朝に対して安龍福を照会すると
1697年2月14日に李朝より
「安龍福は漂流した愚民で得体の解らない嘆願書を持って申し訳ありません
「于山島」なんて妄言ですので本国で刑に処します」
そして日本から帰国した安龍福は不正渡航では無く
妄文作成の罪で流罪となりました
今では安龍福は
民間人でありながら日本と領土紛争を行なった人物として
愛国烈士として韓国で呼ばれていますが
実際には何の成果も上げていません
ちなみに安龍福の云う
竹島(鬱陵島)より北東に50里(20km)ほど行った場所には島など存在しません
松島(竹島)は竹島(鬱陵島)南西に100km行った島ですので
距離どころか方向すら違うので…
さて
竹島の一件では一切何ら話題にならなかった松島(竹島)ですが
実は竹島の一件を境に問題を作ります
松島(竹島)は良質の漁場でしたが
竹島(鬱陵島)に渡航する際の休憩所でもありました
そして北前船の主要航路の1つ(目印)で
ある意味では有名な無人島でした
松島(竹島)への渡航はOK
竹島(鬱陵島)への渡航はNGとなったのですが
竹島(鬱陵島)の竹は
実は日本国内では高値で取引された良質の竹だったのです
松島(竹島)に渡航すると虚偽の報告をし
竹島(鬱陵島)に渡航した竹を伐採し帰港した事で
逮捕された漁民の記録も日本にはあります
この結果
竹島(鬱陵島)と松島(竹島)が混同される様になっていったのです
つまり
「松島(竹島)」に行ってくると言いつつ
嘘を付いて「竹島(鬱陵島)」に行く事が公然化し
ドッチの島に行くのも「竹島行ってくる」になったのです
シーボルトが作成した地図では
竹島(鬱陵島)を「松島」と表記し
松島(竹島)を「竹島」と表記しています
さて
ナゼ「松島(竹)」は松も生えていないのに「松島」と呼ばれたのでしょう?
一説には「松・竹・梅」が由来とも云われています
日本列島から近い順に「松・竹・梅」の冠を付けたというモノです
…梅島は?
存在しません(笑)
安龍福が
「李朝の領土ニダ」と云う幻の島「于山島」が「梅島」だったかもしれません
ちなみに
黒船を率いて来航したペリー提督が所有した日本地図には
アルゴノート島
ダージュレ島
ホーネット岩礁と書かれています
ホーネット岩礁は緯度経度からも松島(竹島)だと解ります
ダージュレ島の緯度経度からも竹島(鬱陵島)だと解ります
…ではアルゴノート島とは一体ドコなんでしょう?
また
1770年に李朝で書かれた「東国文献備考」によると
「于山島」は
倭が所有する所謂「松島(竹島)」と呼ばれている島であると記されています
結局の所
「于山島」はドコなのか解りませんが
どうも
この時代には「幻の島」が存在するようです
さて
時代は江戸幕府から明治政府になります
1877年
明治政府は「朝鮮国交際始末内探書」というモノを作成します
コレには
竹島(鬱陵島)と松島(所在不明)が朝鮮領土となったと書かれています
ナゼ松島が所在不明かというと
松島は竹島(鬱陵島)の隣島であると記されているため
竹島(鬱陵島)から松島(竹島)まで90kmの距離があり
実際に松島(竹島)なのかという疑問が個人的にはあります
同じく「朝鮮国交際始末内探書」には
朝鮮半島から竹島(鬱陵島)までの距離は
200km(実際には140km)
竹島(鬱陵島)から松島(所在不明)まで
160km(実際には92km)
松島(所在不明)から隠岐まで
320km(実際には160km)
この様に
やはり松島だけ実測に直した場合には異常に誤差が激しいので
敢えて松島(所在不明)とします
ある意味では「幻の島」が存在したのかもしれません
この報告書には
竹島(鬱陵島)も松島(所在不明)も
特に書き留めるホドの島では無いとも書かれています
この報告書を得て
1877年に
太政官指令として「竹島外一島は日本領土では無い」と決定しました
1900年
大韓帝国は勅令41号を発布し
鬱陵島と竹嶼と石嶼は朝鮮領土としました
ここで「石嶼」なる得体のしれない島が登場しますが
大韓帝国勅令41号以前に
朝鮮半島の歴史上に「石嶼」が登場した事はありません
また「石嶼」が一体ドコに存在する嶼なのか
大韓帝国勅令41号には距離が一切書かれていません
ただし
石嶼に関しては
石嶼をハングル語で発音すると「トクト」
独島をハングル語で発音すると「ドクト」
発音だけはヨク似ています
日本国内では
1904年に竹島を領土編入貸下願が
島根県の漁業関係者から明治政府に嘆願されます
1905年1月に明治政府は
現在の「竹島」を鳥取県に編入する事を閣議決定しました
ドコの国にも属さない無人島は
先に占有した国の領土に編入できるという「先占」を根拠に編入しました
ただし
1906年5月19日
大韓帝国で発行された「皇城新聞」によれば
外洋100里にある本郡所属だった「独島」が
5月4日に日本の領土になったと大韓帝国に伝えたと書かれています
初めて「独島」という名前が登場した瞬間です
韓国では
「石嶼(トクト)を日本に取られたニダ」という
大韓帝国政府高官という話を聴いた新聞記者が
「独島」(ドクト)と誤って聴いた事が
「独島」という名前の誕生だと考えられています
それにしても
「皇城新聞」によると
外洋100里とは朝鮮半島から40km離れた島と記載されていますので
その場合には
竹島(鬱陵島)よりも朝鮮半島に近い島という事になって
一体ドコの島を指しているのか全く解りません
また
大韓帝国は「独島」が自国領土だったとしても
アッサリ日本に割譲したという事にもなります
この歴史経緯が「竹島」と「独島」領有権の根幹です
終戦後
まず
GHQ677号覚書で
一部の外郭地域を政治上行政上日本から分離する事が決定しました
この一部外郭地域には
沖縄諸島や小笠原諸島や済州島や鬱陵島や竹島が含まれていました
そして
GHQ1033号覚書で
日本漁業に関する活動可能領域を
GHQ677号が定めた一部外郭地域は含めない
いわゆるマッカサーラインと呼ばれる漁業可能地域が完成します
韓国はサンフランシスコ条約締結の交渉で
自国領土として竹島と対馬と波浪島を自国領土に編入する事を
アメリカに要望しています
ココで
「波浪島」という得体の知れない島が登場しますが
存在しません
アメリカは
「波浪島」はドコにあるか尋ねると
日本海に存在する島で鬱陵島の近くにある島だが
波の加減で消える島と答えています
つまり
幻の島「于山島」です(笑)
崔南善という早稲田大学を卒業し
3・1独立運動の独立宣言文の草案を書きながら
コロって日本側に寝返り
日本併合時代には朝鮮史の第一人者として
大日本帝国朝鮮史編集委員の委員に選ばれ
満州国の建国大学では
政府自ら朝鮮史の教授就任を指名されたホドの韓国きっての知識人です
その彼が「波浪島」は存在すると云ったので
要求に組み入れたのですが
大日本帝国の作成した海路図を使い
1951年米国は鬱陵島の周囲180km探索し
韓国山岳隊と韓国海軍は
済州島の周囲180kmを探索したのですが
結局は見つかりませんでした(笑)
対馬に関しては歴史上たった1度も朝鮮が統治した事が無い為に
一瞬で却下されます
さて
この結果
韓国が要求した波浪島と対馬が却下されます
竹島に関しては1952年に
米国は日本に演習場として使用する通達をし日本は受け入れます
しかし韓国政府には通達していなかった事から
韓国国土院が竹島を測量中に
米国による爆撃演習に巻き込まれるという事件も発生しています
韓国が要求した自国に編入すべき3島のうち
波浪島は「存在しない」為に領土に編入できない
対馬は「歴史上統治した事がない」為に編入できない
しかし
竹島は「ヨク根拠は解らない」が米国は日本領としているようだ
その上
現在はマッカーサーラインの関係で日本側は立ち入る事は出来ない
李承晩は朝鮮史の権威だった崔南善に対し
「独島」の領有が可能な歴史事実は韓国側にあるのかを質問すると
李朝時代の竹島の一件
太政官指令による竹島外一島は自国領外と定めた事
大韓帝国勅令41号で「石嶼」という名前で日本より先に領土に編入した
以上の事から大義は「韓国側」にあると進言します
結果
1952年マッカーサーラインが破棄される3ヶ月前に
李承晩ラインと呼ばれる
単純にマッカーサーラインを踏襲しただけの軍事境界線を引いたのです
ちなみに
「李承晩ライン」を制定したのは全力で朝鮮戦争の最中です
北朝鮮・中国と韓国と米国を始めとする多国籍軍が熾烈な戦いをしている中
韓国は貴重な海軍戦力を使い
日本の海上巡視船に16回の攻撃し
日本漁船328隻も拿捕し3929人をも抑留し
44人の死傷者を出しているのです
(死者が出たのは李承晩ライン内の済州島近海ですが)
当然ですが
日本も米国も抗議しています
そもそも
「李承晩ライン」は竹島の領有権と関係なく
「いかなる水域も漁業を行おうとする他国民を排除してはならない」
「管轄権は関税徴収や衛生目的のモノであり
沿岸国が漁業を独占する為の管轄権は認めない」
完全な国際海洋法違反であり
あまり知られていませんが
韓国政府側も
李承晩ラインが国際海洋法違反を犯した事の非だけは
日本政府に一貫して認めています
1954年8月15日
アメリカは韓国に対し「竹島」を国際司法裁判所に付託するように勧告し
1954年9月25日
日本は国際司法裁判所に付託する提案をします
しかし韓国は応じませんでした
1962年3月12日日本は2度目の国際司法裁判所に付託する事を提案しますが
やはり応じる事はありませんでした
ちなみに
李承晩ラインというのは意外な形で解消されます
李承晩ラインの解除の条件は
常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた
在日朝鮮人472人を放免し在留特別許可を与える事
日本政府が摘発した韓国人密入国者を強制送還せず
日本国内に在留特別許可を与え解放する事
韓国政府が要求し
日本側は要求を飲みました
コレが竹島問題の歴史的な流れです
竹島は紛争地域ではありません
紛争地域にする為には
実効支配している韓国軍が駐留するか
領有権を主張している日本が自衛隊を駐留させなければ「紛争地」にはなりません
現在の竹島には「重武装した警察官」しか駐留していません
李明博大統領が竹島に上陸しましたが
日本の首相も島根県から水中翼船でもチャーターして
上陸すればイイと思うのですが…
竹島に上陸しようとるす日本の総理大臣に向けて
韓国の警察が逮捕なり拿捕なり威嚇射撃なりをすると思いますか?
そんな事をしたら
完全に戦争になりますよね(笑)
日本の国内だというのに
日本の総理大臣が行く事が出来ない場所が存在するとは変な話ですよね?
行けないという事は
ある意味で「日本の領土ではない」と認めていると個人的には思います
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コメント
コメント一覧
とあるサイトで紹介されて、飛んできました。
クールかつ詳しい記事ですね。
とても読みやすいです (*^。^*)
これからも愛読しさせてくださいね☆
愛知県の竹島、幼少頃遠足でいきました~。
行けないという事はある意味で「日本の領土ではない」と認めていると個人的には思います」
では、総理が行けば、竹島を侵略している韓国側は攻撃もせずに歓迎しますか?
歓迎はしないと思いますが、不逮捕特権がありますから絶対に攻撃はしないでしょう。よしんば攻撃されて困るのですか?
尖閣諸島は実効支配もしているのに訪問すると中国と摩擦が起きるから行かない。
靖国神社は防衛省のそばにあるのに訪問すると、地球市民系日本人、韓国、中国と摩擦が起きるから行かない。
北方領土は竹島と同じくロシアが実効支配してますよね?
韓国の李大統領が竹島に赴きましたが、北方領土にもロシアのメドベージェフ大統領が
赴いてますよね?
韓国が実効支配しているので、北方領土と同じく一般の日本人が渡航すると、身の危険があるとは思います。
仮に総理大臣が赴き撃たれとします。
その後「遺憾の意」を日本政府は発表して終わりなのですか?
それで日本の国民の世論は納得するんですか?
諸外国と摩擦を起こすから、攻撃されるから「行かない」で済む程度のモノだったら、本気で政府は奪還する気なんてないのでは?
三河人サンへ
誤字・脱字が多そうなブログを読んで戴きありがとうございます。
私も愛知県の竹島は蒲郡にある秘宝館、水族館とセットで何度か行った事がありますよ。
とてもわかりやすく、また知りたいことが掲載され、
素晴らしいと思いました。
1点教えていただきたいのですが、日本の総理大臣は
行くことができないのは、なぜなんでしょうか?
行かないだけではなく、行くことができない??
野田総理大臣が今でも行かない理由は何でしょうか?
国会運営が忙しいから行かないのでしょうか?
韓国の警察に拿捕されたり撃たれるのが怖いから?
自らが拿捕されたり撃たれるのが事が怖くて行かないなら
その程度の価値の島になりますよね?
つまり
行く勇気が無いから行けないのですよね?
では
もし野田総理大臣が行こうと思っても行けない状況ならば?
例えば決断しきれず悩んでいたとします
一国を預かる総理大臣ですからね
自分が訪問する事で戦争になる可能性だってあるのですから
もし
事前に竹島に上陸をする事がマスコミに発覚したとします
マスコミ(主に朝日新聞や毎日新聞など左派系新聞)が
総理大臣が仮に竹島が非難する事は想像できますよね?
靖国神社すら参拝しただけで他国と軋轢が起きるといって非難するのですから
自国の領土でも他国と軋轢を生じる行動をしたという理由です。
現に今までマスコミで
「日本の領土なんだから行けよ!!」という主張を
観た事や聴いた事がありますか?
つまり
世論が行った事を評価してくれると総理が思えるなら
世論が行く事を後押ししてくれるなら
行かないという判断はしないでしょう?
何せ人気低迷中の総理大臣ですから(笑)
行ったとしても評価されないなら行かない
或いは
世論が望まないから行けないという風に
総理大臣は考えてる事になりますよね?
実際の世論は解りませんが
竹島に総理大臣が行って欲しいか?
なんてアンケートがマスコミでやる事もないですから
ただ総理大臣のイメージの中では
行く事を望んでいないと考えてるという事です
ですから
野田総理大臣は竹島に行かないし竹島に行けないのではないでしょうか?
竹島について調べていてここに辿り着きました。
素晴らしい記事ですね!まさにワンダフルな長文です!
>日本の首相も島根県から水中翼船でもチャーターして上陸すればイイ
素晴らしい案ですね!どうせならオスプレイで行ってもらいましょう(笑)
>韓国政府側も李承晩ラインが国際海洋法違反を犯した事の非だけは日本政府に一貫して認めています
これのソースを教えていただけないでしょうか?
はじめまして
国際海洋法違反を犯した事の非を認めている
ネット上のソースの事でしたら解りませんが
私自身が記載した根拠は
鄭大均・古田博司共編
「韓国・北朝鮮の嘘を見破る/近現代史の争点30」
玄大松著書
「領土ナショナリズムの誕生/「独島/竹島問題」の政治学」
いずれの著書にも該当記述があり
この2冊を根拠にしています
もう一つ質問させて下さい。
>そして日本から帰国した安龍福は不正渡航では無く
>妄文作成の罪で流罪となりました
「不正渡航では無く妄文作成の罪で」
これのソースはお分かりでしょうか。もしご存知なら教えて下さい。
また本のご紹介でも結構です。
ちなみに、「安龍福が流罪になった」の一次ソースは以下です。
『粛宗実録』巻三一 1697年3月27日
「上意亦以爲然 命減死定配」(王様もまた然りとし、死刑を減じて配流を命じた)
この「配」が「配流」のことです。
日本の国立公文書館所蔵の「竹嶋紀事」の五巻
李朝の東莱府使から
江戸幕府に対して「呈書妄作の罪」で処罰した事を文書にて日本に通知した(意訳ですが)この記載を個人的には根拠にし妄文作成の罪で裁かれたとブログに書きましたよ
「竹嶋紀事」の五巻
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04c.html
徐さん、どうもありがとうございました m(_ _)m