구영한 邱英漢의 一生을 보면서
2005년까지 그렇게도 즐겨찾던 구영한님께서 오늘 검색해 보니 2012년도에 돌아가셨음을 처음알게되니
감회가 무겁기만하다.이미 80세이었지만 2003~2005년도 중국 곤명에 중국의 토지를 불하받아 새로운 터전을 마련하고중국의 미래에 크나큰 커피 시장을 예상하여 그곧 운남성에 커피농장을 개설하고 북경에 아파트 단지를
개설해서 수많은 가구의 아파트를 짓고 골동품을 다루고,커피점과 제빵사업을 개설하고,일본어 학원과
중국어 학원사업을 하였으며 그곳 북경에 손수지은 아파트 단지에 일본인은 물론 해외의 여행객에
숙박업을 하시던 날이 어제같은데 수많은 증권업의 귀재며 그 재능 그 쌓아온 부로 인하며 오래 오래
사실것으로 생각되었으나 88세를 일기로 세상을 떠난 님을 보면서 너무나 그 감회가 애잔하다.
곤명에 운영하는 사업체에 한국의 젊은이도 한명 와서 채용을 했노라고 했었는데 그분은 지금은 어떻게?
1.공식 홈페이지
http://www.9393.co.jp/
http://www.9393.co.jp/bio_index.html
2.방대한 초인적인 저술활동:
저서가 446권이다.
http://www.9393.co.jp/book_index.html
3.어록
http://www.9393.co.jp/words_index.html
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西暦 |
年譜 |
世界の出来事 |
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1924年 |
日本統治時代の台湾台南市にて 父、邱清海(台湾人)と 母、堤八重(日本人)の長男として誕生。
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パリオリンピック開幕
ソビエト政権が 各国より承認を受ける |
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1930年
(6歳) |
台南小学校に入学。
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ロンドン軍縮会議 |
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1936年
(12歳) |
台北高等学校尋常科入学。 文学への傾倒、始まる。
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二・二六事件 |
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1940年
(16歳) |
台北高等学校高等科進学。 夏休みの旅行にて初めて日本の地を踏む。 |
1939年 第二次世界大戦
日独伊三国同盟成立 |
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1942年
(18歳) |
東京大学経済学部に入学。
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太平洋戦争が激化
ミッドウェー海戦 |
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1945年
(21歳) |
東京大学経済学部卒業。大学院に進学。
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第二次世界大戦 終戦
国際連合、成立 |
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1946年
(22歳) |
卒業後、台湾に帰り、華南銀行に勤務。
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日本国憲法公布 首相に吉田茂 |
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1948年
(24歳) |
台北市内にて役人による市民への暴行をきっかけに 大規模なデモが勃発。(2.28事件) 政府は武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
邱永漢は国連宛に台湾の独立案を起草し、 「台湾人による自治、国民投票の実施」を請願。
身の危険を感じ、香港へ亡命。 |
極東軍事裁判判決
南北朝鮮分断
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1949年
(25歳) |
初めての商機。
香港から戦後の日本へ 欠乏物資を郵送する商売を始める。
商売は成功し、運転手付きのマイカーを持つ。 |
中華人民共和国 成立。
主席に毛沢東
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1951年
(27歳) |
潘苑蘭と結婚。翌年長女が誕生。
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香港の自宅にて |
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サンフランシスコ条約
日米安保締結
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1954年
(30歳) |
小説家を志し東京に戻る。
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ジュネーブ会議
第1次インドシナ戦争 終結
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1956年
(31歳) |
小説「香港」で第34回直木賞受賞。
外国人として最初の直木賞受賞者となる。
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日ソ共同宣言
日本の 国連加盟決定
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1960年
(36歳) |
1959年より始めた株式投資により、成功を収める。
自身の投資が1年で数十倍になり、 成長企業への投資法がマスコミに取り上げられ、 「株の神様」と評される。
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安保闘争
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1972年
(48歳) |
台湾政府から3度に渡り、帰国を要請される。 故郷の経済建設のため、24年ぶりに帰国。 台湾での各種事業を開始。
邱永漢の帰国をきっかけに、 世界各国に亡命していた台湾の知識人が続々と帰国。
諸氏の助言、奔走により、 台湾経済はその基礎を確立し、 70年代後半に”韓国、香港、シンガポール”と並んで 「アジアの四小竜」と称される 急激な経済成長を成し遂げた。
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田中角栄首相 訪中
日中共同声明発表 |
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1980年
(56歳) |
日本国籍を取得。
夏の参院選に出馬。13万票を得るも落選。
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イラン・イラク戦争
開戦 |
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1981年
(57歳) |
台北市で日本語学校(永漢日語) を開設。 20年間で10万人を超える受講生を世に送り出す。 |
中国残留日本人孤児 初の来日
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1988年
(64歳) |
北京へ初訪中。 谷牧氏(元経済担当副総理)と会談し、 中国の大変化を確信する。
香港の中国返還を控え、 「香港のゴーストタウン化」が風潮される中にあって、 「大陸の香港化」を提唱。 数年後、現実のものとなる。 |
イラン・イラク戦争停戦
リクルート疑惑 |
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1991年
(67歳) |
事業の本拠地を香港へ移し、 中国でのビジネスを開始。
様々な日本企業による中国進出の手助けをする。
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湾岸戦争
ソビエト連邦、解体
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2000年
(76歳) |
糸井重里氏主宰「ほぼ日刊イトイ新聞」にて 「もしもしQさん」の連載を開始。 毎日コラムを発信。 |
南北朝鮮首脳会談
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2002年
(78歳) |
「ほぼ日刊イトイ新聞」より分家独立し、 みんながトクするみんなのインターネット 「HiQ」を立ち上げる。
2012年8月31日まで継続。
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欧州通貨統一 (ユーロ誕生)
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2003年
(79歳) |
雲南省のコーヒー栽培に着目し、 同地でコーヒー農園事業を開始。
「宝の山珈琲」と命名。
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イラク戦争開戦
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2004年
(80歳) |
大陸にて製パン事業、レストラン 骨董家具店を展開。
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中華民国(台湾) 総統選挙 陳水扁総統再選
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2008年
(84歳) |
近い将来の中国におけるコーヒー需要増加を予想し、 上海に「Q’s coffee」を出店。
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北京五輪が開幕
リーマン・ブラザーズ 経営破たん
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2011年
(87歳) |
著書「逃げるお金に続け」を刊行。
本作の刊行により、全著書は446冊を数える。
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アラブ世界で民主化 ドミノが起こる
東日本大震災
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2012年
(88歳) |
88歳没
最後の言葉は
「これからアジアの国々は酷い目にあう。 大変な事になるだろう。 でも、それも面白いね。」
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